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マーラー:交響曲第4番 ~道化の交響曲~
第4番は、勝手に題して「道化の交響曲」。第1番から散見されていた、マーラー特有の自虐的な批判精神・皮肉・ユーモアといったものがここで披瀝されます。しかし、マーラーの交響曲としては例外的に短く、とても馴染みやすい曲調であるため、その強烈な皮肉は見事に猫の皮を被っています。そのためマーラーの時代は勿論、現在に至っても第4番のユーモアは理解されず、例えばモーツァルトの音楽のような楽しみ方をされることはしばしばあります。そのことについてマーラーは軽い悲嘆を込めてこのように語っています。
この種のユーモアは(これはおそらくウィットとか快活な気分とかとは区別されるべきなのですが)もっともすぐれた人々にさえなかなかわかってもらえません。
…まぁそんな悲嘆はさておき、マーラーの音楽は「開かれた音楽」であり、言い換えれば「どんな楽しみ方も出来る音楽」です。ピエロが演じる皮肉を愉しむもよし、心地よい空気を楽しむもよし、第4番を楽しむためにそのユーモアを理解する必要はないと私は思います。もっともこのページは楽曲解説ですから、皮肉・ユーモアについて取り上げていきますが…。
曲の概要
「子供の不思議な角笛」からの引用が見られるという点で、第2番、第3番と並び「角笛交響曲」と表現されます。第2番、第3番と続いた、歌曲を交響曲に取り入れる形式も、第8番まで一旦封印されます。この特徴から第1番から第4番を前期作品、第5番から第10番までを後期作品と区切ることもあります。
第2番、第3番とは違い、古典的な4楽章形式を採用していますが、第3楽章がもっとも長く、第4楽章がもっとも短くなっており、楽曲間のバランスが不自然になっています。この「終楽章が軽すぎる」という点も、音楽語法を無視した皮肉的表現と同じく、当時は非難された点でした。もしかしたらモーツァルトの「音楽の冗談(K.522)」なんかを意識していたのかも知れません。
初期の構想は以下のようなものでした。矢印は転用を表します。
交響曲第4番(フモレスケ)
永遠の現在としての世界 ト長調 (→第4番の第1楽章)
地上の生活(この世の生活) 変ホ長調 (→『少年の魔法の角笛』による歌曲)
カリタス ロ長調(アダージョ) (→第4番の第3楽章)
朝の鐘 ヘ長調 (→第3番の第5楽章)
苦悩のない世界 ニ長調(スケルツォ) (→第5番の第3楽章?)
天上の生活 ト長調 (→第4番の第4楽章、『少年の魔法の角笛』による歌曲)
(Wikipediaより)
フモレスケはフランス語の「ユーモレスク」(英語ならユーモア)の独語読みで、音楽用語としては「気まぐれな所のある、陽気でユーモアに富んだ器楽曲の小品」と定義されています。なるほど第4番の性格を良く表している副題です。また「地上の生活」と「天上の生活」を対比させる、というコンセプトも初期には考えられていました。「地上の生活」の交響曲化は、第10番の第3楽章まで預けられます。
また、副題として「大いなる喜びへの讃歌」なんてものが付けられていた時期もありますが、これはマーラーの意図したものではないことが明らかなため、最近は表記されることが無くなりました。皮肉を大いに含んだこの第4番には、誤解を招く相応しくない副題です(表現されている皮肉=大いなる喜びへの賛歌という意味なら面白いですが)。
第1楽章
「道化の鈴」が爽やかな3小節の短い序奏で始まります。第一主題はヴァイオリンによる、モーツァルト風の、銀の色鉛筆で書かれた心地よい旋律。第二主題はチェロで導入されるゆったりとした幅広い主題。オーボエによるおどけた旋律、突然の弦の介入が印象的な小結尾が終わると、再び道化の鈴が鳴らされます。第一主題、第二主題が展開・リピートされ「再び非常に安らかに、少し控えめに」結尾主題を「morend
死に絶えるように」囁いて、展開部へ。
3度目の鈴を契機に展開部。艶やかで官能的な弦のソロ、突発的なホルンの叫び。テンポを増して不穏に音楽が展開していくと、突如4本のフルートによる、付点リズムが印象的な、アドルノいわく「夢のオカリナ」主題。この主題は交響曲を結びつける鍵となる主題で、第3楽章、第4楽章でも登場します。危機的な空気を帯びると、音楽は魑魅魍魎のうごめくロマンティックな夜の森へ。グロッケンシュピール、トライアングルなどの金属音の異化効果が見事です。ここで登場する弦楽器による、希求するような主題は第5番第4楽章の先取りと思われます。魑魅魍魎が姿を隠し、祝祭的な雰囲気になりトランペットが高らかにオカリナ主題を歌うと、一瞬音楽が崩壊し、号令を掛けるようにトランペットで第5番第1楽章の葬送ファンファーレが登場します。その裏では着実に道化の鈴も鳴らされています。一見爽やかなこの場面は第4番に込められた皮肉が露見する箇所であり、実に魅力的です。
再現部の入り方も皮肉たっぷりで、「これでいいんでしょ?」とばかりに第一主題の途中から音楽が流れ出します。第一主題にはオカリナ主題やシンバルも参加し、軽薄に音楽を盛り上ていきげます。一方で幅広い第二主題は一見まじめに展開されています。ここら辺の作りもアイロニーを感じさせます。
鈴が密やかに鳴らされるとコーダ。美しく主題が絡み合い、停滞する時間の中で旋律線は消えていく。が、あいにくとそこで音楽は終わらず、第一主題が追い立てられるように沸き出でて、形ばかりに楽章を結ぶ。
実に的確なアドルノの言葉を引用すると「音楽はベートーヴェン以前の交響曲の喜ばしい終結という戯画的な慣習に従って、勇気を無理やり奮い起こし、立ち上がらねばならない」。古典的なソナタ形式を採りつつも、その内容はほとんど破綻していると言っても良いようなもの。皮肉という斜に構えた手段ですが、第5番、第6番、第7番などで志向されている「交響曲の破壊」が既にこの4番でも試みられているのです。
第2楽章
スケルツォ楽章。ホルンの物憂げな動機と、道化の鈴を髣髴とさせる同音連打の動機による導入。ヴァイオリンソロは全ての弦を長二度高くした、「スコルダトゥーラ」と呼ばれるもの。スコルダトゥーラは、本来の楽器の響きの趣向を変える目的で用いられます。このスコルダトゥーラ・ヴァイオリンソロについて、マーラーは「友ハイン(死神)は演奏する」と語ったそうです。
この言葉とこの音楽は、ベックリンの「ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像(1872)」を髣髴とさせます。マーラーとベックリンは不思議な共通点があります(第2番第3楽章で用いられている「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」という題材は、ベックリンも用いているものです)。同じ世紀末ヨーロッパに生きたベックリンとは精神的な共通点があったのでしょう。
ベックリン「ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像(1872)」
トリオ部では諧謔を意味するトリルの執拗な使用が目立ちます。ヴァイオリンのグリッサンドも多用され、ムード音楽風のくつろいだ響きを奏でます。村井氏によればグリッサンドは「非現実世界の指標である」そうです。すなわちグリッサンドの現われる音楽は、マーラーにおいては非現実の世界、夢の世界、天国の世界を表象します。この第2楽章は死神と天国が同居する不思議な楽章であると言えるでしょう。内容に反して、音楽形式・語法的には意外と落ち着いているのが面白い。
第3楽章
第3番第6楽章の雰囲気を継承する緩叙楽章です。形式も同じ、2つの主題を交互に展開させる複変奏曲形式。
第一主題は聖らかな美しさをもつ主題。第二主題はオーボエで始まる、暗い嘆きに満ちたホ短調の主題。第二主題は映画音楽風の、ある意味で“俗な”もの。意図的に俗っぽくしたのかの判断は難しいですが、第3番の第6楽章であれだけの作品を書けることを証明していますから、やっぱりこの俗っぽさは意図的なのかも知れません。
至ってまじめに展開されていたと思いきや、第一主題の三度目の登場は非常にアイロニカルなものになっています。テンポは急激に加速し、あたかも高速回転するメリーゴーランドに乗っているような一瞬の混乱。そしてその後は“当然”、何事も無かったように胸を締め付ける甘美な主題は続けられていきます。ここら辺は一瞬ニヤリとしてしまいますね。
夢のように音楽がたゆたい消えていくと、突然の強奏の「突発」部。ティンパニが確固たるリズムを刻み、いかにもクライマックスの様相を示します。裏では「夢のオカリナ」主題に基づく第4楽章の主題も先取りされて奏されています。淡い光芒の中を静かに音楽が沈んでいき「Ganzlich ersterbend 完全に死に絶えるように」楽章を閉じる。
第4楽章
歌曲集「少年の不思議な角笛」の『天上の生活』を用いた歌曲楽章。歌いだしの旋律の付点リズムが、明らかに「夢のオカリナ」主題に基づいています。テンポが落ち、天国的な雰囲気を帯びる箇所(Sankt
Peter im Himmel sieht zu.)は第3番第5楽章と同じ旋律が使用されています。
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間奏部分では道化の鈴も現われます。ここでの登場ではテンポが増されていて、「天上の生活」という内容とは一見似つかわしくない焦燥感を感じさせます。
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「天上の生活」と題したこの美しい…と思われた楽章にも、歌詞の中にやはり強烈な皮肉が用意されていました。なるほど先ほどの焦燥感はこれで得心がいきます。
ここでの「仔羊」はイエス・キリストを指し、その仔羊を、我ら=天使たちが殺してしまうという内容になっています。また「聖ルカは牛を~」のくだりからは牛の鳴き声を模倣した低音楽器によって、不協和音の抗議の声が叫ばれています。実にアイロニカルな音楽表現です。
さらに言えば「天使たちがパンを焼くのだ」の部分にも皮肉が込められています。上でも触れましたが、元々第4番では悲劇的な「地上の生活」と悦楽的な「天上の生活」を対照的に描く、というコンセプトがありました。その「地上の生活」の歌詞は以下のような悲劇的なものです。
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…その一方、天使たちは牛を食べ、ワインをタダで飲み、パンを食べるのです。実に強烈な皮肉。この対比のコンセプトが実現しなかったのは実に惜しい。
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ダメ押しとばかりに飽食の描写。歌が終わると叫びにも似た、強烈な鈴の警告!ドキッとしてしまいます。
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「地上の生活」を踏まえると、なんて皮肉に聞こえることでしょう。聖チェチリアの音楽隊の奏でるヴァイオリンは、なんと死神のヴァイオリン。
交響曲的な解決は結局図られないまま、morendが指定され、コントラバスが重苦しく曲を閉じる。
男声、ピアノ伴奏版。
参考文献:
・Wikipedia - 交響曲第4番
・村井翔「マーラー」 ISBN:4276221889
・音楽之友社 マーラー ISBN:4276010411
・音楽之友社 こだわり派のための名曲徹底分析 マーラーの交響曲 ISBN:4276130727
・グスタフ・マーラー―その人と芸術、そして時代 ISBN:4884706846
お勧めのディスク
MTT@SFSO
★★★★★
録音も良し、非常に聴きやすい解釈も良し。新時代の名盤です。
追加予定。
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