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マーラー:交響曲第6番 ~明から暗へ~
  


 マーラーの交響曲の中で最も完成度が高いとされることもある第6番。完璧な構成と、交響曲の常識を打ち破る歴史的傑作。
 しばしば「悲劇的」の副題が付くように(マーラー自身が付けた副題ではないと考えられています)、第6番の理解にもっとも重要な概念は「明から暗へ」という悲劇性。亡き子の住まう「あの高い丘」には決して到達しえないのです。
 ハイドン(1732-1809)やカンナビヒ(1731-1798)の諸作に見られるように、元来交響曲とは基本的に“明るく”終わるものとして作曲されてきました。ベートーヴェン(1770-1827)が「第九」によってそれを「暗から明へ(苦悩を突き抜けて歓喜へ)」の構図へと昇華しました。それ以来交響曲はベートーヴェンが提示したこの「暗から明へ」のハッピー・エンド形式が理想とされてきたのです。
 そしてそれを完膚なきまで、巨大なハンマーで叩き壊したのがこのマーラーの第6番なのです。


曲の概要

 マーラーいわく「英雄が打ちのめされる」交響曲、という実に悲劇的な構想の交響曲ですが、作曲はマーラーの絶頂期になされたものです(1903年スケッチ完成、1905年オーケストレーション完成)。またこの時期に「亡き子をしのぶ歌」を作曲していることから、「マーラーは後の悲劇(娘マノンの死、自身の死、世界大戦の混乱(!))を予測したのだ」としばしば言われます。が、そういった神格化はナンセンスです、この時代は「死」が芸術の重要なモチーフとされていたことや、既存の概念をぶち破ることが芸術の潮流だったことが関係しているのでしょう。6番で語られるのは、むしろそういった具体的な悲劇ではなく、森羅万象の抽出としての、抽象的な“悲劇”です。マーラーにおいては作品の人生と作曲家の人生は、奇妙にリンクしながらも、あくまで独立に流れているのです。

第1楽章

 行進曲のリズムに乗せて、戦闘的な第一主題が動き出す。あたりを蹴散らすように重量級の歩みで進んでいくと、ここで2台のティンパニによってリズム動機が刻まれます。このリズムの直後の、イ長調()からイ短調()へと移行する和音は、モットーと呼ばれる主要和音動機。「明から暗へ」、この時点でこの交響曲の性質が仄めかされているわけです。(なおシェーンベルクはこの2つの要素をまとめて「運命のモティーフ」と呼んでいます。)
 木管による経過句を挟んで、第二主題。これは妻アルマを表現したもので、アルマの主題とも言われます。なるほど奔放で不規則で、実に情熱的な主題です。ソナタ形式的に、第一主題→リズム動機・モットー和音→第二主題という経過を辿ります。
 3度目の第一主題がポリフォニックに展開され、音楽が希薄になると「一時止揚」へ。天国の表象であるチェレスタと、地上の表象であるカウベルが融合する。カウベルは「遠くから」バンダで鳴らされる。第一主題と第二主題の激闘の、つかの間の白昼夢。アルマの主題が穏やかに奏される。天国に最も近い場所の、無上の美しさ。
 突然が音楽が流れ出すと、否が応にも戦いは始まってしまう。第一主題が爆裂しながら突き進む!リズム動機・モットーが再現され、溶け合うように第二主題の短い再現へと移行する。
 行進曲が近づいてくると、コーダ。これまでに提示された材料を劇的に、ダイナミックに展開する。ほんの一瞬だけ一時止揚が回顧されると、第二主題が幸せに爆発する。第1楽章ではベートーヴェン風に歓喜の終局を見せます。だが「これでいいんでしょ?」という声が聞こえるような歓喜は妙に唐突で、綻びを見せている。

第2楽章





 思わず、またか!と言いたくなるような行進曲のリズム。このようにして第1楽章の歓喜は早くも否定されるのです。前楽章の材料を用いたスケルツォ楽章。ホルンの突発的な叫び、諧謔的なシロフォンが印象的。トリオ部分の主題も先取りされています。聞き取りにくいかも知れませんが、モットー和音も現われています
 テンポを一層落としたトリオは、アルマいわく「よちよち歩きで砂の間を走り回る二人の小さな子供のリズムに乗らない遊び」。そして「恐ろしいことに―この子供たちの声はだんだんと悲劇的なものとなり、最後には小さな啜り泣きとなって消えてゆく。」のです。もっともこれはあくまでアルマの事後的な解釈ですが。“角笛”交響曲などと同様に、「亡き子をしのぶ歌」のパラフレーズが交響曲の中に採用されたと考えるのが妥当でしょう。

第3楽章

 微熱を帯びた、溶けるように気だるげな主題。実に現代的です。この主題が様々な楽器で歌い継がれていきます。この楽章では明→暗へのモットー和音それ自体はもちろん、短三度()から長三度()へという逆行も見られます。この事実に加え、カウベルが「遠くから」ではなくオーケストラ内で鳴らされることから、この楽章は非現実理想天上といったものを表現していることが読み取れます。曲の雰囲気も「亡き子をしのぶ歌」と似ています。亡き子の住まう「あの高み jenen Höhn」を表現しているのかも知れません。彼岸の光が差しこむような瞬間も…。
 音楽が木管によるヴェールをまとうと中間部。滔々と流れるメロディが美しい。第1楽章の一時止揚を髣髴とさせるカウベルの音。全人類の天国の実現。
 クラリネットが冒頭の主題を歌うと、ホルンがすかさず引き継ぐ。弦の対旋律が優しく寄り添う。主題を一通り再現すると、突如堰を切ったように音楽が流れ出す!明と暗が交錯し、美しいクライマックスを築く。徐々にテンポを落とし、遠ざかるように消えていく。この楽章はマーラーの楽曲の中で1,2を争う美しさです。そして次には容赦ない終楽章が待ち受ける…完璧な構成。

 なお、第3楽章(アンダンテ)と第2楽章(スケルツォ)の順番は作曲当初は逆でした。今でもこれを逆に演奏することはありますが、やはり2楽章の「またかよ!」の感覚、至高の美の後の破壊という構図は捨てがたいので、個人的には通常通りの順序がベストだと思います。

第4楽章

 何か不吉なものを予感させる幕開け。ヴァイオリンによる序奏主題は、聳え立つ門のようなアーチ型をしています。ハープによって仰々しく舞台の幕が開かれると、第1楽章のリズム動機とモットーが帰ってきます。影のように蠢くコラールの断片。遥か彼方から追弔の鐘が聞こえてくる。厚い霧の向こうで不気味に展開される主題の断片。モットー和音が爆発する。次第に高揚していくと、イ短調の主部に入り、爆発。
 木管とヴァイオリンで強烈に第一主題が奏される。付点のリズムが第1楽章を第一主題を思い出させる戦闘的なもの。ホルンの勇ましい跳躍が音楽を鼓舞させる。音楽が一転して長調になると、軽やかな第二主題。アルマの主題と類似しています。第一主題:短調、戦闘的|第二主題:長調、情熱的 といった構図は第1楽章と同じですね。
 序奏のハープが一瞬帰ってくると、「遠くから」バンダの位置でカウベルが思いだされたように鳴り響く。不穏なチェロを伴う第一主題と、希望に満ちた第二主題が鍔迫り合いを見せる。ここでは第二主題が勝利し、華々しく伸びやかに凱歌が歌われる。第二主題がクライマックスを築くかと思うと、第一のハンマーが鳴らされる!明から暗へと叩き落される!音楽は警告を受けたように一瞬混乱するが、すぐに意気を取り戻し、何事もなかったように音楽は落ち着きを取り戻す。金管楽器による警告音を受けると、突如、音楽は第一主題にもとづく行進曲となる。鞭打たれ「火のように con fuoco」前進する。ここでは実際にルーテ(ムチ)が鳴らされています。行進曲を乗り越えると、第二主題が戻り、躊躇うようにクライマックスへたどり着こうとするが、予定調和的に第二のハンマーの一撃によって叩きのめされる。混乱の後、序奏が帰ってくる。聳え立つ門、少しも進んではいなかったのだ。
 カウベルと鐘が遠くから聞こえると、モノローグと回想が続く。徐々に高揚すると、第二主題がコラールの祝福を受け回帰する。第一主題の断片とリズム動機による介入を受けつつも、第二主題は突き進もうとする。「だが、無駄だ。」、第1主題が無慈悲に力を増して再現されてしまう。全てを打ち払う勢いをもって第一主題は展開する。第二主題が輝かしく再現される、が、それでは同じだ―同じ結末を辿ってしまう!案の定、今度はタムタム(マーラーにおける死の表象)によって道は立たれ、序奏が再現される門!一歩も進んではいないのだ…!
 金管が重苦しく、死を弔う。リズム動機とモットーが劇的に奏される。ああ、戦いなどなく、始めから何も無かったのだ…。

 マーラーも愛読していたゲーテ「ファウスト」からこんな一文を引用しましょう。もしかしたらこの一文から霊感を得ていたのかも知れませんね。

こうしたものなのか――憧れる思いが
最高の願いへと信頼を込めて迫り
成就の門の扉が大きく開かれているのを見出したとき
その永遠の深みから突然 巨大な炎が噴出し
われらは成すすべなく立ち尽くす。
(柴田 翔 訳)

 主題間の戦いが見事に物語を作り上げています。2、3楽章の立ち位置も絶妙。“最高の完成度”の名に恥じない傑作でしょう。
 6番に限らず、マーラーの交響曲は下手な小説の100倍語ります。しかし、決して語りすぎはしない。マーラーは「アルプス交響曲」のような下世話な真似は決してしない。マーラーにおいて音楽は現実をそのまま描くものではなく、より高次な現実法則の抽出なのです。この解釈の多様性がマーラーの魅力ですね。
 そういう意味でこの「悲劇的」の副題は誤解を招く表現です。悲劇性以上のものがこの曲で再現されているのですから。マーラーが副題を嫌ったというのもそこら辺の事情なのでしょう。


 なおハンマーの回数はかなり変動があります。当初は5回、改定で3回、2回と減っていきました。その経緯はこだわり派のための名曲徹底分析 マーラーの交響曲に詳しく記されています。何故回数が減っていったのかは一つの謎で、解釈が難しいのですが、エルヴィン・ラッツはこのような意見を述べています。

一九〇三年にマーラーが完全に消え去ることだと考えたもの、あるいは少なくとも前面に押し出したもの(それをわれわれは死、あるいは英雄の最後と呼ぶ)はこれ以後、別の装いのもとに現れる。この人間は使命を全うしたのである。それが外見からは挫折であったとしても、個としての発展の高みに到達し、そこに不動の位置を占めているのである。だからもはや死は終わりではなく、新たな気圏への飛躍である。……こうして彼は三回目のハンマー打撃を削除したのである。
つまり、本当はけっして終わりではないのに、絶対的な終わりという感じを強めすぎてしまうことを恐れたのだ




第二のハンマー。シンバルも鳴っているので聞こえませんが…。


マーラー - 交響曲第6番「悲劇的」 ハンマー聴き比べ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1160403
ニコニコ動画より。素晴らしい企画です。


参考文献:
 ・Wikipedia - 交響曲第6番
 ・村井翔「マーラー」 ISBN:4276221889
 ・音楽之友社 マーラー ISBN:4276010411
 ・音楽之友社 こだわり派のための名曲徹底分析 マーラーの交響曲 ISBN:4276130727



お勧めのディスク


ショルティ@CSO
★★★★★

乾いた太鼓の音質とキレのある表現がツボ。演奏はやや軽めですが、日常的に観賞するにはこれぐらいがベスト。


バルビローリ@ニューフィルハーモニア
★★★★★

重量級の第6番。2楽章:アンダンテ、3楽章:スケルツォとなっています。ハンマーが爆弾のような音色!ハンマーだけで鳥肌立ちます。

バーンスタイン@VPO
★★★★☆

カウベルが良い音。バーンスタインはハンマー3回叩きます。


ブーレーズ@VPO
★★★★☆

ブーレーズは「幻想」を聴いてから敬遠してましたが、なかなか良いマーラーです。飽きさせない、完璧な演奏は入門盤としても良いかも。しかしハンマーが聞こえません。叩かせていないのでしょうか…。




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