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音楽の起源 〜グレゴリオ聖歌〜 


 音楽の歴史を紐解く前に、音楽の起源について考えてみたいと思います。
 音楽はどのように発生したのか?という問題は、残念ながら絶対に答えの出ない類の歴史学上の難問です。合理的な推測としては以下のような説があります。

・言語起源説
  言語の抑揚から音楽が生まれた、とする説。
  自然な発生では音程差が生まれます。

・労働起源説
  大勢で作業をする時に用いた掛け声が音楽となった、とする説。
  (「えっさ、ほいさ、えっさ、ほいさ」のようなリズムが音楽となった)

・求愛行動起源説
  鳥の歌や虫の音を真似たもの、あるいはそれが進歩したもの。

  これらの説が有力な推論として考えられています。基本的にはこれらが全て複合的に絡み合い、音楽が発生したと考えられます。
  詳しく知りたい方は「音と音楽と人T」やクルトザックス著の「音楽の起源」などをご覧ください。


 記録として音楽が残されているのは8世紀からです。それ以前の音楽は、そもそも楽譜が残されていないか、残されていても記譜法が解読できないために、残念ながら当時の姿を知ることが出来ません。しかしながらどうにかして当時の音楽を再現しよう、という動きはあり、ギリシャ・ローマ時代の音楽は不十分ながらも可能な限り再現されています。




キタラ風のリラの演奏。

 とはいえ、お聴きのように非常に断片的です。これから新しい資料が発掘されない限り、やはりギリシャ・ローマ時代の音楽を再現することは実際には不可能でしょう。しっかりと記録に残りはじめたのは、音楽が「聖歌」の形を採るようになってからです。音楽は布教に利用され、大規模な布教をするためにはしっかりとした資料にまとめる必要があったのです。ちなみに音楽は布教に大きく寄与しました。未開のゲルマン人たちは聖歌の響きに圧倒され、煙に巻かれたようになし崩し的にキリスト教を信仰するようになったとか…。
 再現可能で最も古い音楽は「アンブロジウス聖歌」といわれています。楽譜も現存し(このサイトでpdfが見れます)演奏もされていますが、現存する楽譜が当時演奏されていたものと同じものである、という根拠には乏しいのが現状です。

 学問的に再現性が認められているのが「グレゴリオ聖歌」です。




 楽譜は動画のような「ネウマ譜」という形式です。男声合唱によるメリスマを伴う単旋律の、不思議な音楽です。苔むした洞窟の中で音に包まれているような、湿度と安堵を感じます。
グレゴリオ聖歌は未だに高い人気を誇ります。古今東西どこを探してもない、代えがたい魅力がある音楽です。グレゴリオ聖歌“風”のアレンジは一時期流行ましたね。(参考:グレゴリオ聖歌風ニルヴァーナ「Smells Like Teen Sprit」



 基本的には無伴奏の単旋律聖歌なのですが、通奏低音の声楽パートが付いたり、オルガン伴奏が付いたりすることもあります。


 なおこの不思議な調性感は「教会旋法」によるものです。いわゆる調性(ハ長調、ホ短調など)は音楽理論が整理されていったのちの産物なので、グレゴリオ聖歌の時代にはありませんでした。こちらのサイトで教会旋法の試聴が出来ます。フリギア旋法などはその不思議な感覚ゆえに、後の音楽でも頻繁に使われています。(バッハ「マタイ受難曲」第62曲、ハンソン「ディエス・ナタリス(主顕祭)」などなど)
 バッハ以降の音楽はほぼ「調性」に基づくものへとなっていきます。バッハの構造的なフーガは調性の賜物です。調性は素晴らしい概念なのですが、その反面、調性が西洋音楽の枠を規定することになりました。以降200年以上に渡り、長らく調性が重視されてきたのですが、ワーグナーやマーラーの無調的作品に触発され、ドビュッシーなどの現代音楽の先駆者たちが旋法に注目したのをきっかけに調性の破壊が起こり、現在のような多様化した音楽が生まれました。調性崩壊後の音楽は実に自由で挑戦的です。その意味で「バッハが音楽を殺した」なんて台詞もしばしば聞かれますね。もっとも12音音楽をはじめとする、無調音楽はとても難解で聴きにくいものなのですが。ひねくれた捉え方をすれば、西洋音楽は調性の破壊によって殺された、とも考えられます。


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