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マーラー:交響曲第2番
情熱的でドラマティックな展開、荘厳な合唱…といかにも後期ロマン派、といった作品。しかし後期の作品に比べると、構造的な緻密さ・混沌さ、において劣り、それゆえにマーラー愛好家からの評価は意外と低かったりします。要するに、こういった合唱つきの派手派手の曲は、ちょっと“浅はか”な気がしてしまうのですね。メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」なんかの評価に近いというか。
だがそれは大きな間違いです。第2番は後期の作品にも劣らない第一級の芸術作品です。第2番ついて映像にも触れながら解説していきたいと思います。
曲の概要
この曲の表題は指揮者ハンス・フォン・ビューローの葬儀で演奏された、クロプシュトックの詩による賛歌「復活」が元となっております。なお「復活」という表題はマーラーが付けたものではありません。他の作品、6番「悲劇的」、7番「夜の歌」、8番「千人の交響曲」などもマーラー自身が提唱した表題ではありません。そもそもマーラーは表題を「理解を妨げるもの」として避けていました。個人的にもこの考えには賛成です。マーラーの音楽がR.シュトラウス「アルプス交響曲」「英雄の生涯」のような、理解を強制するものだったら、マーラーの音楽はここまで面白いものにはならなかったでしょう。非言語性と言いますか、そういった解釈のオープンさがマーラー鑑賞の一つの楽しみです。勿論“言語的”な「幻想交響曲」みたいなのも面白いのですが。
前述の賛歌「復活」にインスピレーションを受けたマーラーは、既に作曲済みだった交響詩「葬礼(Totenfeier)」(なおこの表題はマーラーが命名)に加筆をする形で、交響曲第2番として全5楽章の交響曲を書き上げました。「葬礼」という主題は前作の「巨人」の葬儀を意図している、だという説が一般的です。とはいえそれだとまた「巨人」が復活しちゃってますし、そもそも極めて初期段階の構想なので「復活」交響曲を「巨人」と絡めるのはあまり本質的では無いでしょう。
第1楽章
<マーラーによる解題>
私の第1交響曲での英雄を墓に横たえ、その生涯を曇りのない鏡で、いわば高められた位置から映すのである。同時に、この楽章は、大きな問題を表明している。すなわち、いかなる目的のために汝は生まれてきたかということである。……この解答を私は終楽章で与える。
不安で強圧的なトリルの一撃に始まり、戦闘的な第1主題が低弦によってのっそりと目覚めます。主題はそのまま付点リズムとスタッカートが印象的な葬送行進曲となります。第2主題は上へ上へと懸命に上昇するような上行形の美麗な主題。安息はすぐに終わり、再び第1主題が戻って来ると、トランペット主導による悲痛なメロディで小さな頂点を築きます。静まると何かを思うような第2主題が提示されます。イングリッシュホルンによる牧歌的な旋律が流れると柔らかな光が注ぐ地上の楽園が現れ、しかしすぐに不穏な第1主題の名残が帰ってきます。音楽はコラール調になり、次第に破壊的な側面を見せる。逃げるようにテンポを速めた第2主題が再現されると、高音域に移動した第一主題が牙をむく。葬送行進曲が奏でられ「怒りの日(Dies Irae)」の音形が登場すると、音楽は緊張感に満ちた爆発へ。ここの雰囲気は第5楽章でこれでもかとパワーアップした形で再現されます。お楽しみに。音楽が崩壊すると再現部。第一主題は何度でもむっくりと起き上がり、葬送行進曲は止まらない。連続的に第2主題へと移り、より儚く瞑想的に再現されます。先ほどのクライマックスの面影が忍び寄ると、先ほどの何倍も軽い爆発を終え、徐々に消えていきます。終結部で奈落の底へ。
第1主題を「死」、第2主題を「生」ないし「上昇する力」と捉えることが出来ます。生きようと、天国へ至ろうとする力を「死」が叩きのめす!非常にドラマティックです。勿論後の5楽章では「死」は克服され、復活へ至るのですが。
中間部より。
第2楽章
<マーラーによる解題>
過去の回想……英雄の過ぎ去った生涯からの純粋で汚れのない太陽の光線。
激しい音楽の中のオアシス、ここで一旦の小休止。田園風景を感じる優しい舞曲風の曲調。弦による3連符を伴う主題は長調ながらも不穏な空気伴います。「死」はやってくるのではなく、常に背後にいるものである、とは兼好法師の言葉です。
第3楽章
<マーラーによる解題>
前の楽章の物足りないような夢から覚め、再び生活の喧噪のなかに戻ると、人生の絶え間ない流れが恐ろしさをもって君たちに迫ってくることがよくある。それは、ちょうど君たちが外部の暗いところから音楽が聴き取れなくなるような距離で眺めたときの、明るく照らされた舞踏場の踊り手たちが揺れ動くのにも似ている。人生は無感覚で君たちの前に現れ、君たちが嫌悪の叫び声を上げて起きあがることのよくある悪夢にも似ている……。
歌曲集『子供の不思議な角笛』の1曲『魚に説教するパドヴァの聖アントニウス』に基づくスケルツォ楽章。魚に説教、馬の耳に念仏。風刺的な歌曲です。
2番ではこの楽章がもっとも優れていると感じます。ティンパニの強打に始まる奇妙奇天烈摩訶不思議な音響空間はほとんど現代音楽の世界。この楽章に関しては主題がどうのこうの考えずに、このシャガールやルドン、はたまたコラージュやトロンプ・ルイユのような音楽を楽しむのがベスト。突如現れる金管の祝祭的な主題は次第に変容され、第5楽章で再現されるべき「突発」を先取りします。金管主題はマーラーの友人であったハンス・ロットの交響曲からの引用と考えられます。圧倒的な爆発のあとも何事も無かったように魑魅魍魎がはびこると、ディミヌエンドしてタムタム(ゴング)の一撃が皮肉に響く。タムタムはマーラーにおいては死の表象として扱われることが多々あります。幽霊と幻想の音楽。
ちなみにこの楽章はルチアーノ・ベリオのコラージュ音楽「シンフォニア」の中で大々的に引用されています。現代音楽作曲家として何か琴線に触れるものがあったのでしょう。
ちなみに画家のベックリンも同題材で作品を残しています。マーラーとベックリンの間には接点はなかったとされていますが、不思議な共通点です。
ベックリン『魚に説教するパドヴァの聖アントニウス』
第4楽章 「原光(Urlicht)」
<マーラーによる解題>
単純な信仰の壮快な次のような歌が聞こえてくる。私は神のようになり、神の元へと戻ってゆくであろう。
マーラー全作品の中でも屈指の美しさを誇る楽章。『子供の不思議な角笛』の第7曲「原光」から採られています。
歌詞は以下。Wikipediaより。
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注目すべきは「Je lieber möcht ich im Himmel sein!」の後に「ersterbend(死に絶えるように)」という表記があること。この表記は第9番第4楽章の終結部、第7番第4楽章終結部などにも使われています。この表記に関しては、特にこの2番と7番の使用法から、マーラーは「ersterbend(死に絶えるように)」を天国への契機として用いていたと考えられています。確かにこの歌詞では「esterbend」を契機にシーンが天国に移っています。7番や9番の理解にもつながる事なので是非覚えておきましょう。
第5楽章
<マーラーによる解題>
荒野に次のような声が響いてくる。あらゆる人生の終末はきた。……最後の審判の日が近づいている。大地は震え、墓は開き、死者が立ち上がり、行進は永久に進んでゆく。この地上の権力者もつまらぬ者も-王も乞食も-進んでゆく。偉大なる声が響いてくる。啓示のトランペットが叫ぶ。そして恐ろしい静寂のまっただ中で、地上の生活の最後のおののく姿を示すかのように、夜鶯を遠くの方で聴く。柔らかに、聖者たちと天上の者たちの合唱が次のように歌う。「復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。」そして、神の栄光が現れる。不思議な柔和な光がわれわれの心の奥底に透徹してくる。……すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。……愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する。
3楽章の終盤で現れた破壊的な和音に乗せ、金管が第1楽章第1主題を思わせる主題を叫び、荒れ狂うように始まります。音楽が落ち着くと、ホルンの呼び声が聞こえます。「荒野に叫ぶ」とスコアに書き込みがあるホルン。第2主題は木管により始まるコラール主題。グレゴリオ聖歌のセクエンツァ(続唱)「怒りの日」をモチーフにしています。歌詞はこのようなもの(ページ中間ほど)。このメロディは「幻想交響曲」や「パガニーニ変奏曲」でも出てくるので聴いたことがあるかも知れません。後に出てくる歌詞「Auferstehn(復活)」のメロディをホルン、トランペットが歌う。この「復活」主題はこの後も頻繁に出てきます。明るく音楽が開けると、ホルンが高らかに歌い、再び歌詞を先取りするメロディが提示される(O
glaube, mein Herz, o glaube, Es geht dir nichts verloren!部分)。楽器によって提示したメロディを、後に合唱で再現するこの手法は「第九」に似ており、少なからずそのことを意識していたのではないかと思います。再度「Auferstehn」を歌い、音楽は一層輝くしく開けます。
打楽器のロールで始まる中間部分は聴き所。爆発の後、重厚な行進曲調になるも「怒りの日」の影が。鼓舞するように鐘も鳴らされるが、音楽は連呼される「怒りの日」に導かれ、爆発し、奈落の底に落とされてしまう。だが負けじと切実なメロディは這い上がろうとする!遠くから戦いの行進曲が聞こえると、音楽は急速に切迫し、ティンパニの強打に導かれ、第1主題の咆哮を再現する!ここのカタルシスは圧倒的。落ち着きを取り戻すと、再び「荒野で叫ぶ」ホルンの呼び声がこだまし、呼応するようにフルートやトランペットが自由に各々のメロディを歌う。
静寂の後、厳かに「復活せよ Auferstehn」が唱えられると音楽は新たな局面へ。
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柔らかで輝かしいオーケストラの間奏を挟み、音楽は進む。
Wieder aufzublühn wirst du gesät! Der Herr der Ernte geht und sammelt Garben Uns ein, die starben. |
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アルトが合唱に重なると、第1楽章第2主題の上昇する音形が安らかに再現される。ついに目標を遂げ、静かに感動に浸るよう。
厳しいながらも鼓舞するようなアルトソロ。なおこの歌詞以降はマーラーの改作です(原詩はこちら)
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優しいソプラノソロによる励まし。
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決然とした男声合唱。死を、滅びを恐れるな!
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ヴァイオリンが官能的に絡む、ソプラノ・アルトの二重奏。
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死は克服された!いざ光のもとへ!
徐々に徐々に、翼を持って着実に音楽は舞い上がる!
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何人をも寄せ付けない高みへと到達すると、音楽は感動的なクライマックス。
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天界の鐘が鳴らされ、オルガンも加わり、死のタムタムもここでは歓喜へと変わる。クレッシェンドして大団円。
なおクロプシュトックの原詩における「復活」は、キリストの復活を指しています。マーラーはユダヤ教徒だったので、本来ならばこの歌詞は教義的にNGなのですが、それが何か、とばかりに採用しています。のちに歌劇場就任のためにカトリックに改宗するぐらいですし、ユダヤの戒律うんぬんについては大して気にしなかったようです。
という事情はあれ、この超宗教性ってのは凄い。なるほど読み方によれば仏教の説教にすら思えてきます。死ぬことを恐れて萎縮するな、死を征服して、弱りきった心を蘇らせるのだ。
熱心なユダヤ教徒の多いイスラエルフィルの演奏が素晴らしいのもこの超宗教性によるものなのでしょう。彼らにとってこの「復活」はイスラエル国歌にあるような「イスラエルの復活」を意味するのです。
イスラエル国歌「ハティクヴァ(希望)」
心の奥底に秘めた
ユダヤ教徒の魂が切望するは
眼差し向かう東の地 シオン
二千年の我等の望み今だ失われず
祖国にて自由を勝ち取らん
シオンの地 そして エルサレム
「復活」はお盆信仰に近いなんて話も興味深いですね。原詩のキリスト教的世界観から脱出することによって、普遍性を獲得しているのです。
なおマーラーの自筆部分である、「生きるために死ぬのだ」という歌詞の思想の背景には、ゲーテの死生観の影響があります。ゲーテ「ファウスト」にはそのクライマックスで、ファウストが死ぬことで地上の絆を一切断って、「永遠にして女性的なるもの」によって「牽きて昇らし」めらえています。「ファウスト」第二部、およびこのクライマックスのシーンは第8番で音楽化されています。マーラーの好み、多大な霊感を受けた箇所だったのでしょう。ゲーテ「ファウスト」は難解さからどうにも敬遠されがちですが、マーラーファンにはオススメの作品です。
参考文献:
・Wikipedia - 交響曲第2番
・村井翔「マーラー」 ISBN:4276221889
・音楽之友社 マーラー ISBN:4276010411
・音楽之友社 こだわり派のための名曲徹底分析 マーラーの交響曲 ISBN:4276130727
お勧めのディスク
メータ@VPO
★★★★★
★5つの名盤中の名盤。メータは3回録音していますが、この盤がベストでしょう。快活明瞭な表現、圧倒的な爆発部、自信に満ちた鮮やかな繊細さ。特に終楽章中間部の爆裂っぷりは物凄い。打楽器奏者としては歓喜の声を上げざるを得ない。ウッヒョー!
バーンスタイン@NYPO
★★★★☆
要所要所でたっぷりと感情的に歌ってくれるのはバーンスタインの魅力ですが、復活に関してはちょっとくどい部分も。もちろん素晴らしい箇所も多々ありますが。金管の鳴りは抜群。必携盤の一つでしょう。
ショルティ@CSO
★★★★☆
金管の鳴りが最強。凄すぎて笑いが止まりません。明るく乾いた音質、の中にもたおやかに歌う木管・弦。名盤でしょう。
MTT@SFSO
★★★★☆
見通しの良い爽やかな演奏。3楽章の演奏はかなり良い。
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