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マーラーと言葉
 
 マーラー研究のお役に立ててください。太字は私が勝手に付けたものです。下線は原文における傍点・傍線などの代替です。言葉の出展は主にこちらで紹介している書籍からです。


「やがてわたしの時代が来る」
(マーラー)


「私はどこに行っても歓迎されない。“オーストリアにおけるボヘミア人”、“ドイツにおけるオーストリア人”、そして“世界におけるユダヤ人”だから」
(マーラー)


「ユダヤ人は“短い腕をして”生まれてくる」
(マーラー)


「私は驚嘆すべき音楽の手ほどきを受けた。それは偉大なワーグナーじきじきの列席をえて演奏された「タンホイザー」だった。私には説明すべき言葉が無い。私が言いうるすべては、ただ自分が気違いになってしまったということだ。私は手の皮が擦りむけるほど拍手した。この偉大な巨匠の音楽に思いをいたすだけで、私は無我夢中になってしまうに十分だ。こうして私はワグネリアンとなったのだ!」
(マーラー:1875年、ワーグナーの「タンホイザー」を聴いて)


「喜ばしい生命力の最高度の灼熱と、身も細るほどの死への憧憬。この両方が交互に僕の心を支配している。ひとつだけわかっていることは、こんなふうにこのまま続いていくことはもはやありえないということ。現代の社会の偽善や虚偽の圧迫が、自分で自分をはずかしめてしまうまでに僕を追い込んでしまった以上は、そして、芸術をめぐる情況や人生をめぐる情況との引き裂きがたい関係によって、僕にとって神聖なものである芸術、愛、宗教といったすべてのものに対する嫌悪感が僕の心の中にもたらされた以上は、自分で自分を滅ぼす意外にいったいどんな逃げ道があるだろうか。荒々しく僕は、むかむかする味気ない生活の泥沼に僕をつなぎとめているものを引きちぎる。そしてやけくその力で僕の唯一の慰めである苦悩にしがみつくのだ。」
(マーラー:1879年、友人のシュタイナー宛の手紙で)


「友達のハンス・ロットは気がふれてしまった!それにクリスパーにも、ぼくはおなじ心配をしなければならない……。私のお伽噺(「嘆きの歌」)は仕上がったが、これは一年以上も私が書き上げようと一生懸命になった真の苦しみの結果なのだ……。私の次の目標、それはあらゆる手段を講じて、それを演奏させることだ!……」
(マーラー:1880年、エーミール・フロイント宛の手紙で)


「今困っていることは2つです。ひとつは私がユダヤ人であるということです。そしてもうひとつは私の妨害をする人間がいたるところにいることです。」
(マーラー:1886年12月、ウィーン歌劇場就任の苦労に際して)


「しかしなんといってもこの町で一番こっけいなのはポーランド系ユダヤ人だ。他の町なら犬がほっつき歩くところを、奴さんたちが駆けずり回ってる。実に面白い!やれやれ、私はあんな連中と血がつながっているってわけか!?」
(マーラー:1903年4月アルマ宛の手紙で)


「伝統とは怠惰である。」
(マーラー:1904年フィデリオの上演に対する反発に際して)


「途方もないほどの使命感にかられて、彼はたんに私をないがしろにしていたのであった。彼は突然負い目を感じた。私は突然、自分の結婚が――けっして結婚といえるようなものではなく――、自分自身の生活がまったく満たされていないことを知った。……だが私はマーラーなしの生活はけっして考えてみることはできなかったろう。彼は私にとって、自分の存在の中心点であったし、ありつづけていたのである……」
(アルマ)


「私は午後全部をかけてマーラーの精神分析を行った。この往診は彼には必要だと思われていたのである。彼の妻は、当時、彼が彼女に性の満足<リビドー>をあたえることを拒んでいたために、はなはだしい不満を感じていた。彼の生涯の愛情のうえの遍歴をたどることで、私たちは、愛に対する彼の個人的な態度、そしてなかんずく彼の聖処女コンプレックス(母的固定)を明らかにした。私はこの人物がもっている天才的な理解能力を賞嘆することができた。だが、彼のきわめて激しく執拗な神経症の症状をしめす外観にはなんの証明も投げかけられなかった。それは神秘な石の建物に一本の通洞をうがつことをのぞむようなものだった。」
(フロイト:1935年1月4日、テオードル・ライク宛の手紙)


「フロイトの言うことはもっともだ。おまえはぼくにとってはいつでも光明であり、そしてあらゆることの中心だった!」
(マーラー:フロイトの診察の後で)


「リヒャルト・ワーグナーの肺から吹き起こる、あのものすごい突風をまともに食らったら、ブラームスなどひとたまりもなかろう!」
(マーラー)


「バッハのポリフォニーの奇蹟はまったく外に例の無いものです。単にその時代でというのではなく、あらゆる時代を通じてです。」
(マーラー)


「とても口では言い表せないほど、バッハから次々と、しかも回を増すごとにいっそう多く学んでいます(もちろん子供のころからバッハに教わっているわけです)。というのも、自分自身のもって生まれた音楽の作り方がバッハ的なのです。この最高のお手本に没頭できる時間がさえあったなら。」
(マーラー)


「不思議だ。音楽を聴いていると――指揮をしているときでさえ――疑問に思っていることすべてに対して確たる答えが聞こえてくるのだ――そうするとまったくすっきりして確かな気持ちになるのだ。あるいはさらに、疑問などもともとないのだと、はっきり実感するのだ」
(マーラー)


「グッキー(娘アンナの愛称)のスケッチ画はじつにすてきだ。笑っているうちに涙が出てきて、そのまま泣いてしまったよ」
(マーラー:1910年夏)


「モーツァルトル!」
(マーラー:臨終の言葉)


「病院のベッドでシーツが交換されるとき、ふたりの看護人はマーラーの見る影も無くやせ衰えた裸体をかかえあげていた。誰一人恥ずかしいと思わなかった。キリストの埋葬!私たちはみな等しくそう感じた。」
(アルマの回想より:1911年5月18日マーラーの死に際して)


「生前、マーラーが誤解され攻撃されたのも、ある意味では当然のこととも言える。私はむしろ至当なことと思う。なぜなら偉大な芸術家は死後に受ける尊敬のため、生前何らかの罰をこうむらなければならないからである。」
(シェーンベルク:1912年マーラーの追悼講演にて)


「マーラーが生きていた<世界>は、気の利いた外見の下で腐敗しながら崩壊し、不快で偽善的で、富裕で、現世の不滅を確信しながらも、精神の不滅性への信仰を失っていたのである。マーラーの音楽はそれを暴露しており、ゆえにほどんどが残酷なものとなっている。それは西欧社会を、その衰亡がはじまった瞬間に捉えたカメラのようである
バーンスタイン:マーラー演奏に関して《三浦淳司訳》)


「マーラーの、どの作品が自分にふさわしいだろう」
カラヤン:ベルリンフィルの支配人、シュトレーゼマンに問いかけた言葉《香川檀訳》)


「自由を求めて叫ぶためには牢獄を必要とするものがいるように、マーラーには形式が必要だったのです。マーラーの場合、形式は内容と常に矛盾していると思います。第六交響曲の第一楽章が、私の主張に対する最も良い例です。つまり、いさあかたりとも古典的とは呼びえないような、それどころか極めて個人的な内容が、ソナタ楽章の厳格な形式の中に押し込まれているのです。形式とは過去の廃物なのです。」
(シノーポリ:1982年クヴァンダーとの対談の中で)


「私たちがその後、日曜日にマーラーといつもの道を歩いていてクロイツベルクの祭りに通りかかり、さらに腹立たしい乱痴気騒ぎに出くわした時のことだった。そkではメリーゴーランドやブランコ、射的店、指人形劇、はては軍楽や男声合唱団もが数え切れないほど軒を連ねて活動し、それらがすべて同じ森の草地で他を顧慮することなく信じがたい音楽を奏でていた。そkでマーラーは次のように叫んだ。―『ねえ聞こえるかい?あれがポリフォニーというもので、僕はこういうところから学んだんだ。まだ小さな子供の頃にイグラウの森でこの響きはボクに不思議な感動を与え、心に残るものとなった。だって、こうしたざわめきも何千羽の鳥の声も、嵐がヒューヒューいうのも波がピチャピチャするのも火がパチパチ音を立てるのも、みな同じように多くの音があるということじゃないか。主題はまさにこのようにまったく違った方向から現われ、リズムも旋律もまったく違っていなければならない(そうでないものはみな単に声部が多いものというだけにすぎず、偽装されたホモフォニーだ)。ただ作曲家はそれらの音をともに調和して響き合う全体へと秩序づけ、一体化させるだけなんだ』」。
(ナターリエ・バウアー=レヒナー:回想録)


「嘆きの歌」に関する言葉


「私が《マーラー》としての自分を発見した最初の作品は、合唱、独唱者たち、それに管弦楽のための物語、すなわち『嘆きの歌』だった!私はこの作品を自分の作品番号第一番と考えている…。」
(マーラー)


「…なぜなら『嘆きの歌』は、彼がはるかかなたを見やっていようとも、ロマン的な「世界苦<ヴェルトシュメルツ>」に冒され、すでに世間によって傷つけら得た、そして幼いころ、今に何になりたいかときかれて「殉教者になりたい!」と答えた青年の作品だからだ。」
(マルク・ヴィニャル:「マーラー」より《海老沢敏 訳》)


「さすらう若人の歌」に関する言葉

「親愛なフリッツ!今日、元日の朝、ぼくのまず初めの思いをきみに捧げよう……。ぼくは、ゆうべ、ひとり、彼女のそばに座って、ぼくたちはほとんど口をきかずに新年がやってくるのを待っていた。彼女の思いはそこに居合わせたぼくに向けられてはいなかった。そして鐘が鳴り、涙が彼女の目から流れ落ちたとき、その責任はあまりにも恐ろしいことにぼくにあると思われたので、ぼくは、ぼくはその涙を拭いてあげるこtができなかった。彼女は隣室に行き、しばらくのあいだ窓辺で黙って立っていた。そして彼女がまだ泣きながら戻ってきたとき、名状しがたい苦しみが、永久になくならない隔壁のように、ぼくたちのあいだに据えられたのだった。それでぼくは彼女の手を握りしめ、そして出てゆくことしかできなかった。ぼくは玄関のところにきたとき、鐘が鳴り、塔からはおごそかなコラールがひびいてきた。……ぼくは夜通し、夢の中で泣き続けた。……ぼくは歌曲集をひとつ書いたが、さしあたって六曲で、これらはみんな彼女に捧げたものだ。彼女はこれらの歌曲を知ってはいない。これらの歌は、彼女が知っている以外のことを彼女にいうことができるだろうか。……これらの歌曲は、運命にもてあそばれたひとりの旅する男が、いまや世間に出て行き、そうしていずこともなくさすらうといったようにまとまりをもって着想されている」
(マーラー:1885年1月1日、フリードリヒ・レーア宛の手紙で)


1番に関する言葉


「さあ、僕の作品はできあがったぞ。今、君にピアノのそばに座ってもらってこの曲を弾いて聞かせたい。とても力強いものになったんだ。―まるで僕の中から渓流がほとばしり出たようにね。この夏には君に聞かせてあげよう。ほとんど一挙に僕の中にあったあらゆる水門が開かれたのだ。」
(マーラー)


「楽章のはじめで一つの音が非常な低音から高音まで何オクターブにも分割されて出てきます。このとどまった音は空間を想起させます。このとどまった音が非常に広い音域にわたって分割されているように見えると言う事実が広いからっぽな空間の連想を引き起こすのです。そこには何の形象もありません。この空間にはだれも住まっていないのです。《第一》が一八八九年にブダペストで初演されたという事実を知っておく必要があります。この何オクターヴにもわたる音をマーラーは最初普通に書いたのですが、リハーサルのとき彼はこれが気に入らず、弦楽器にフラジョレットで弾くように指示したのです。このフラジョレットの音によってこの箇所は何か異化された雰囲気になりました。オーケストラがもやの向こうから聞こえてくるように突然響きはじめるのです。……マーラーによって空虚な空間の想像が引き起こされた後に、この空虚な空間に徐々に信号たちが棲みはじめるのです。……
まずオーボエとバス・クラリネットとファゴットで奏される断片が登場します。しかしながら、これが重要なのですが、次にこの断片は正真正銘のラッパの信号へと拡張されます。ところがこの典型的にトランペット風のモチーフがトランペットではなくクラリネットで吹かれるのです。あとになると実際にこの信号をトランペットが引き継ぐのですが、マーラーはスコアの中にトランペットはずっと離れた場所に置くようにという指示を付け加えているのです。この点は実に驚くべきことなのですが、クラリネットはオーケストラの中に置かれているにもかかわらず、遠くに置かれているトランペットよりも遠くに聞こえるのです。そしてこれは典型的なラッパの信号を吹いていますから、聴き手にとってはトランペットの代わりのものとして知覚されるのです。……
そしてこの空間化の多様なパースペクティヴという新しい作曲のやり方が可能になったと言うのも、音色が一つの自立したディメンジョンであることが発見されたからなのです。」
(リゲティ:第一交響曲序奏について《渡辺 裕訳》 )


「そもそも最初の交響曲に、もはや彼の特徴となるすべてが含まれているのです。そこですでに彼の人生のメロディが鳴り始めているのです。彼はそれをただ展開させてゆき、極限までは点させます。それは、自然への帰依と死への思いなのです。」
(シェーンベルク:追悼公演にて)


「マーラーのキーンというイ音のフラジオレットが会場を満たしたそもそもの最初から、聴衆はそわそわしたり、退屈したり、肝をつぶしたり、わざと咳払いをしたり、その上不愉快さや難しさから笑い声さえ立てた。要するに、音楽がどうなっているのかさっぱりわからなかったからである。」
(ナターリエ・バウアー=レヒナー:回想録)


「マーラーの友人のサークルは、たいへんに感動した。一般の聴衆は、その大部分が、いつものごとく、形式上の新しさにはすべて無理解をしめし、夢うつつの冬眠から乱暴にも目を覚まさせられた。最後の楽章の始まりで、私の隣に座っていた品のよい婦人は、手にしていた品物を全部落っことしてしまったものである。」
(フリードリヒ・レーア)

「われわれのうち一人は気が狂っているに違いない。そしてそれは私ではない。」
(エドゥアルト・ハンスリック:第1番を聴いて)


2番に関する言葉

「彼の前で僕の<葬礼>を弾いてみせたところ、彼(ビューロー)はとんでもないといわんばかりに仰天し、『トリスタン』も僕の曲を前にしてはハイドンの交響曲のようなものだと述べ、あとはまるで狂人のようなふるまいだった。」
(マーラー:「葬礼」をビューローに聞かせた際の言葉)


「ちょうど現代の小説のようになるでしょう。つまり、途中からいきなり始まり、第二章になってようやく、そこに行き着くまでの経緯がだんだんわかるようになるのです。」
(マーラー:アルマへの手紙《宮川尚理訳》)


「しかし人類の教育の基盤がこれによって拡大されることはわたしには疑いを入れない。全てはまるで別の世界から響いてくるかのようだ。そして―誰だってこの力からは逃れることは出来ないだろうとわたしには思われる。先ず、棍棒で地面に殴り倒され、そしてそれから天使の翼に乗せられて遥かな高みまで運ばれるのだ。」
(マーラー:交響曲第二番について《宮川尚理訳》)


3番に関する言葉

「きみはもう何も見る必要はないんだよ。ぼくはそれを全部作曲してしまったのだから!」
(マーラー:1869年、作曲小屋を訪れたブルーノ・ワルターに語った言葉)


「私が作曲したもののなかで、最もいちじるしい天真爛漫さをもった、花々だけがそうでありうるような天真爛漫さをもった曲である。」
(マーラー:第2楽章について)



4番に関する言葉


「この種のユーモアは(これはおそらくウィットとか快活な気分とかとは区別されるべきなのですが)もっともすぐれた人々にさえなかなかわかってもらえません。」
(マーラー)


「すべてが引用符のように書かれていて、音楽が、「かつてソナタ形式というものがあった」と語るからである。」
(アドルノ:「マーラー」より《龍村あや子訳》)


「第一楽章は三つまでだって数えられそうもないように始まります。でもすぐに掛け算になってついには何百万という目のまわるような大きな数を数えることになるのです。」
(マーラー:第1楽章について)


「いちめんの青い空……。ただ時折、暗くなって恐怖の影がよぎるが、それは空そのものが曇っているのではなく、ちょうどとてもお天気のよい日に陽光の降りそそぐ森の中で、いわれのない恐怖に突然襲われることがままあるように、急に自分にとってだけ不気味となった空なのです。」
(マーラー:第1楽章について)




5番に関する言葉

「第一楽章。心の奥底の痛み―苦悩―憂愁―暗鬱な気分、涙―泣きはらした顔はゆがみ、絶望、怒り、半狂乱の状態がかわるがわる激しい爆発をくりかえしながら狂気にいたる。(終結部の笑いは、痛みのあまり半ば狂って、不気味に、幽霊のように
第三楽章。不自然な陽気さ。苦悩を忘れようとするが、それはまだできず、どこか不自然である。―基本的な音調は暗く、あちこちでは死の舞踏さえ行われている。
第四楽章。愛。愛が彼の人生に到来する。
第五楽章。自然への回帰。痛手から立ち直り、大はしゃぎの陽気さ。はじめのうちは、幸福この上ない気分と満足感に浸っている。―その期間が長くなれば、ますますその気分は大きくなり―あふれんばかりに―結末。喜びと幸福感の余り、狂ったように。演奏の喜び―何ものにもわずらわされず音楽すること。」
(メンゲルベルク:第五交響曲の所感)


「各楽章の配列から見ますと(そのなかで通常の第一楽章が、二番目の位置におかれています)、この「交響曲全体」の調性について語るのは、なかなか難しい問題です。誤解の無いようにするには、むしろ調性などしるさないでおいた方が良いかと存じます。(主要楽章となる第二楽章はイ短調―アンダンテ楽章の第一楽章は嬰ハ短調です)。……」
(マーラー:ペータース出版社宛の書簡、1904年7月23日)


第五交響曲の第一楽章はマーラーによる音楽の空間化の素晴らしい見本ではないかと思うのです。音楽という手段を通して想像上の遠近法を作品に持ち込んでいるのです。第五交響曲には楽器群の遠隔配置がありません。第一楽章冒頭で葬送行進曲全体の導入となる一種のファンファーレが鳴り響きますが、これは単独であり、他の楽器を伴いません。このトランペットの合図は、幾度も繰り返され、特にこの楽章の最後では他の楽器群とのからみの中で埋もれがちですが、再度登場します。隠し味のように同じ節回しが、遥か彼方に転位されて鳴り響くのです。これは空間的であるばかりか、時間的でもあると思います。この楽章の最後で私たちの記憶は、冒頭に単独であらわれたトランペットの合図へと結びつき、私たちの連想は、このメロディーが第一楽章のなかでひとつの物語をつむぎ出したわけです。しかしこれが全てではありません。先ほど述べましたように、第一楽章の最後でトランペットのメロディーが、先ずオーケストラの中に埋もれながら現われ、今度は改めて単独で再来します。このトランペットの合図の断片は三度、私たちの耳に入ってくるのです。二度はトランペットで。そして三度目も当然またトランペットかと予期するわけですが、マーラーはこれを、今度はフルートにゆだねるのです。ここでまたしてもゲシュタルト心理学現象が、いいかえればある種の聴覚上の錯覚が生じるのです。わたしたちがこのフルートの箇所をきくとき、まるでトランペットがはるか後方からこだまのように答えている、そんな印象を受けるのです。このフルートはいわばカメレオンのようなものです。同じ箇所が、仮にオーボエのような倍音の豊富な楽器で演奏されていたらこのような印象は生まれなかったと思います。倍音の乏しいフルートがこの役割を引き受けるのに適しているのです。後期のヴェルディ―「オテロ」や「ファルスタッフ」―では、低音のフルートによるファンファーレの箇所が数多く見られます。私たちの耳は殆んどトランペットのように聞こえます。マーラーがヴェルディのこのような例を知っていたことは、十分にありうると思います。しかしマーラーの場合、このような箇所にはさらにもう一つ特別な作曲技法上の趣向が凝らされています。トランペットが最後の合図を奏する間、ティンパニの伴奏がトレモロで続きます。しかしフルートがこの合図を引き継ぐと、伴奏楽器が替わるのです。ティンパニにとって替わって大太鼓が連打されます。ティンパニという楽器は音の高さを保つことができ、ぼやけてしまっても聞き取れます。一方、大太鼓の方は音の高さを持ち合わせていません。マーラーはこうして、この箇所の音響のスペクトルを騒音の中へと分散させ、そのまま霧の彼方へ、ぼんやりとかすむ遠方へと分解してゆくのです。そうすることによって、トランペットの合図の空間的な消滅が一層鮮やかに描き出されるわけです。
(リゲティ:第5番に関して)


6番に関する言葉

「第一楽章のスケッチを完成した後、マーラーは森から下りてきて言った。『君をある主題の中に書きとどめようとしたんだが―うまくいったかどうかわからない。君にはこれで我慢してもらうしかない』」
(アルマ:「回想」より《酒田健一訳》)


「短めに、力強く、鈍い余韻を残すような一撃を、金属的な響きにならないように」
(マーラー:終楽章のハンマーの支持)


「たとえ『田園』があろうとも、これこそ唯一の第六なのだ」
(ベルク:ヴェーベルン指揮の第六交響曲を聞いて《村井翔訳》)


「音楽史全体の中でも例外的な作品であるマーラーの第六交響曲は、あらゆる点で彼の創作における転回点を示すものである。マーラーはここで最終的に『角笛』歌曲集の調子<トーン>に別れを告げる。『悲劇的』という別名を持つこの曲の根底には隠された標題<プログラム>がある。マーラー自身の言葉によれば(もしくは、彼の妻の広めたところによれば)音楽はある英雄の運命を描いたものだが、彼は終楽章で「打ち倒される」のだ。最も注目すべきものは「運命のモティーフ」で、和声とリズム、二つのファクターを含んでいる。和声の上では、これは長三和音から短三音への移行でできている。それほど古いものではないとしても、シューベルトにはその起源を見出すことができるアイディアである。リズムの面では第九交響曲の「心臓の鼓動」のモティーフに似てる。ただしその「不規則性」はないが。
美学的に見ると、このリズムは呼びかけ<アピール>の機能も持っている。長調から短調への交代もまた、その都度、注意が必要である。固定楽想<イデー・フィクス>のように働くと同時に、作品の形式理念そのものを明らかにしてるのだ。この音象徴はそれ自体について注目を要求し、後の調性崩壊期の作品には欠くことのできなくなった一種の締め金として働く。やはり英雄の死を音楽的に象徴してる三回のハンマーの打撃を基礎付けているのも、同じく形式上の構成なのである。」
(エーベルハルト・クレム:「マーラー―ひとつの挑戦」より《識名章喜訳》)


「独創的な才能を持ち合わせていない人は手をださないことです。しかし、それがある人は尻ごみする必要などありません。こうしてあれこれ考えたりするのは、ちょうど、子供をつくった人が、あとからこれはほんとうに子供なのだろうか、また正しい意図からつくられたのだろうかなどと思い悩むのと同じことだと思います。―彼は愛し、そして―できた。けっこう!愛さず、またできなかったら、子供は生まれない。これもけっこう!その人が存在していて能力があればこそ、子供が生まれてくる。もう一度けっこう!『六番』が仕上がりました。思うに、僕はできんたのです!まったくもってけっこう!」
(マーラー:ワルター宛の手紙、六番の完成に当たって《岩下 眞好 訳》)



「一九〇三年にマーラーが完全に消え去ることだと考えたもの、あるいは少なくとも前面に押し出したもの(それをわれわれは死、あるいは英雄の最後と呼ぶ)はこれ以後、別の装いのもとに現れる。この人間は使命を全うしたのである。それが外見からは挫折であったとしても、個としての発展の高みに到達し、そこに不動の位置を占めているのである。だからもはや死は終わりではなく、新たな気圏への飛躍である。……こうして彼は三回目のハンマー打撃を削除したのである。つまり、ほんとうはけっして終わりではないのに、絶対的な終わりという感じを強めすぎてしまうことを恐れたのだ」
(エルヴィン・ラッツ)


7番に関する言葉

「「人間が気高く成長するために必要な全てが、あの高みにある。人間は、ではどこに居るべきなのか。頂上だ。頂上、この言葉はわれわれになんと響くことだろう。これはもはや単なる象徴なんてものではない。<至上の高みを放浪するもの>、この者の耳には、カウベルの音の他に、この下界の音は入らないのだ。」これはマーラーが第七交響曲の練習をしている時に、オーケストラに向かって言った言葉だ。やはりこれも、単なる象徴ではない。僕はこれがマーラーの交響曲だと思う。象徴なんかどうでもいい。僕はその実物が欲しいのだ。」
(ヴェーベルン:第七交響曲について)


「第七交響曲も、一連の器楽交響曲の中では一風変わった、そして成立の由来がまだ知られていない曲である。ここには第五のあの堂々たる力強さはない。第六のデモーニッシュな悲劇性もない。この第七交響曲が意味するものは、生への回帰であり、生成と存在の喜びに立ち返ることである。先に書かれた第五、第六、二つの交響曲の特殊な点は、個人のかかえた問題を先鋭化したことであり、世界との対立の中に置かれた個人に焦点が当てられていたことである。第七は、そのような対立のありようを解消している。個のあり方を、世界との関係の中へ位置づけ、表向きの矛盾対立を和解に導き、宇宙的な統一感を再び取り戻しているのが、この第七の世界なのである。個人の問題を扱った器楽交響曲から森羅万象の合一を目指す合唱交響曲へと橋渡しするのがこの第七である。」
(パウル・ベッカー:「グスタフ・マーラーの交響曲」 1921 《識名章喜 訳》)



「『五番』の嬰ハ短調の葬送行進曲から『七番』のハ長調のバッカス賛歌まで、『第五』と『第六』のイ短調の嵐を通り抜けて一本の道が通じている。……ハンマーの打撃によって、打ちのめされたのではなく鍛えられたのだ。ひとつの新しい領域が踏破されたのであり、終結の歓喜のファンファーレが新たな勝利を告知する。」
(シュライバー)



8番に関する言葉

「いっさいは比喩にすぎない、なにものかの。そしてこのものの造詣は、ここで求められているものの不完全な表現に過ぎない。言い表すことのできるものは、かのうつろいゆくものに他ならないだが感じられ予感されはしてもけっして到達しえないところのもの(すなわちここで成就されうるところのもの)、いっさいの現象の背後にあって永遠にうつろわぬところのもの、それは言い表しがたい。神秘の威力によってわれわれをひきてのぼらしむるもの、いかなる被造物も、おそらくは路傍の石くれにいたるまでも、絶対の確信を持っておのれの存在の中心と感じてるもの、それをゲーテはここで―とはいえやはり一つの比喩として永遠に女性なるものと名づけたのだ―すなわち、それは安息であり目的の地であって―この目的の地を目ざしての永遠の憧憬と努力と至高―つまりは永遠に男性なるもの―の対極者なのだ!―きみがこれを愛の力と呼んだのはまことに正しい。それを表す観念や名称は数限りなくある(子供や動物の、あるいは貴賎を問わずあらゆる人間の生活のありさまを思い浮かべてみるがよい)。ゲーテ自身もこの作品において、とくに終わりに 近づくにつれていよいよ明確に、こうした比喩のはてしない階梯を表現してる。それはファウストのヘレーナへの熱烈な思慕、さらにはヴァルプルギスの夜、いまだ未生の存在であるホムンクルス等々、低次高次の種々様々なエンテレケイアを経て、ますます明瞭な、ますます純粋な姿と言葉を獲得してゆく。そしてついにあの栄光の聖母に到達する―これこそ永遠に女性なるものの化身に他ならない!だからしてこの最終場面に直接関係させながら、ゲーテ自身聴衆にこう語りかけるのだ―
「うつろいゆくものはすべて(二晩にわたって諸君にお目にかけたとおり)―比喩にすぎない。もとよりこれとても地上の仮の姿である以上、不完全であることは言うまでもない。―しかしかの地では、地上の不完全な肉体から開放されて、すべては成就されるのだ。そしてそのときには、われわれはもはやいかなる解釈も、この地上で私が言い表そうと努めたもの、だがしょせんは言い表しがたきものでしかなかったところのもの、それがかの地においてまさしく成し遂げられるのだ。ではそれはいったい何か?それもまた私は諸君に比喩によって告げるほかないのだ。すなわち、永遠に女性なるものがわれわれをひきてのぼらしめ―われわれはそこに在り―そこに安息を得―地上ではあこがれ求めることしかできなかったものを所有するのだ、と。キリスト教徒はこれを<永遠の浄福>と名づけるが、私はむしろこの美しい十全な神話的表象を描写の手段に用いざるをえなかった。―それは現在の人類が受け入れることのできるもっとも適切妥当な表象だからだ。」
(マーラー:アルマへの手紙1909年6月 《酒田健一訳》)



「『ソクラテス対話篇』で、プラトンは彼自身の世界観を語っているが、それは《プラトン的愛》として誤解されて、最も程度の低いインテリにいたるまで幾世紀ものあいだ影響を与えてきたものだ。その本質は、すべての愛は出産であり、創造であるという、そしてまさにこの《エロス》の発露であるところの肉体的な、そして精神的な創作が存在するというゲーテの思想なのだ。『ファウスト』の最後の場面で、おまえはそれを象徴的な表現の形で見出すことができるだろう……」
(マーラー:アルマへの手紙1910年 《酒田健一訳》)


「マーラーが演壇に登場すると聴衆は全員起立した。水を打ったような静寂。それは一人の芸術家に対して示された最高に感動的な敬意の表明だった。マーラー、この神々しいデーモンは、巨大な数の人々の魂を征服し、それは光を放った。その場にい合わせたすべての人々の内的体験は、想像を絶するほど大きかった。そして外面的成功も、創造を絶して大きかった。」
(アルマ:1910年、初演に立ち会って)


「最後の音がだんだんと小さくなって消えていった。静寂が続いた。突然四千人が、聴衆も演奏者も一緒になって、どっと湧き、熱狂は三十分近く続いた。三百人の子供たちの態度もくずれ、まったく途方にくれている勝者マーラーめがけて四方から駆け寄り、花を渡したり手にすがりついたりした。外には車が待ち受けていた。それまでにわずかたりともほとんど味わったことのない幸福感を満面にたたえて、マーラーが外に出てきた。そして、相変わらず興奮状態の大勢の人々の間をぬってゆっくりと進んでいった。マーラーは人生の頂点に、また最高の名声にたっしていたようだった」
(パウル・シュテファン:1910年、初演に立ち会って《岩下眞好 訳》)


「「そが光にてわれわが感ずる心を高めたまえ<アチェンデ・ルーメン・センシプス>」の箇所、ここで『ファウスト』の最終場面へと端がかけられる。ここが、この作品全体の要である。」
(ヴェーベルン:第八交響曲について《村井翔訳》)


「大地の歌」に関する言葉

「すでに君に話した様に、これは瀕死の人間の魂の傍らを、生が通り過ぎてゆくような、いやもっと適切に言えば、生きてきた過去が通り過ぎて行くかのようなものなのだ。芸術作品が凝縮され、素材の束縛を脱すると、現実的なものは蒸発して、理念が残る。この歌曲集はそういうものなのだ。」
(ヴェーベルン:「大地の歌」について《村井翔訳》)


9番に関する言葉

「『大地の歌』は「友」への別れである!(人間の別れ!!)第9交響曲は彼の愛したすべてのもの―そしてこの世―への別れである!彼の芸術、人生、音楽への別れ」
第1楽章:「彼の最愛の者たち」への別れ(妻や子供への別れの言葉―この上なく深い悲しみ!)
第2楽章:「死の舞踏(「なんじ死すべし!」なんじ生きる限り、消えゆくべし。恐るべきフモール)」
第3楽章:最後のフモール―!仕事、創造、すべては死を免れようとするむなしい努力!!
トリオ:偏屈な理想(原<ウア>モティーフ)
第4楽章:マーラーの「白鳥の歌」マーラーの魂は自らの告別を歌う!彼はその内なるものを歌いつくす。彼の魂は最後の別れを歌う―「さらば!」と歌う。かくも豊かな、波乱に満ちた彼の人生は―いまや終わりを告げようとする!彼は感じ、歌う「さらば、わが竪琴よ」」
(メンゲルベルク:スコア書き込み《村井翔訳》)


「アポロの中の兄弟たちに捧げる」
(第3楽章冒頭の書き込み)


「ぼくはまたしてもマーラーの第九交響曲を全曲弾きとおしてしまいました。第一楽章は、マーラーが書いた最も壮麗なものです、それは、この大地への未聞の愛の表現であり、その大地の上で平和に行き、大地、つまり自然をその深みの底の底まで享受しつくしたい―死がやってくるまえに―という切なる願いです。なんといっても死はおしとどめるすべもなくやって来ますから。この楽章全体の基調となっているのは死の予感です。それは幾たびとなく姿をあらわします。現世の夢の全てがここに絶頂をきわめています(だから、このうえなく繊細な個所のあとにはかならずあらたな沸騰のように爆発するクレッシェンドがつづくのです)。この爆発がもっと強烈に起こるところは、いうまでもなく、あの死の予感が確実なもの(*原文は傍点)となり、深い、苦痛に満ちた生の欲望のまっただなかへ「絶大の威力をもって」死がおとずれる恐るべき場面です。そこへ身の毛もよだつようなヴィオラとヴァイオリンの独奏が加わります。そしてあの騎士をあらわす響き―甲冑に身をかためた死神!それに立ちむかうすべはもはやない!―そのあとにつづくものはすべて諦念だと、僕は思います。それはつねに「彼岸」への想念と結びついてますが、この彼岸なるものは、「ミステリオーソ」のところで、いわばきわめて希薄な空気の中に―山々のはるか上方(*原文は傍点)に―、そう、空気の希薄な空間(エーテル)のなかに漂っているかのようです。そしてふたたび、これを最後に、マーラーは大地へとむかいます―とはいえもはや闘争と行為へではありません。そういうものを、彼はいわば(『大地の歌』においてすでにそうだったように、半音階的なモルデンド信仰によって下降しつつ)脱ぎ捨ててゆくのです。そうではなくて、徹頭徹尾、ただひたすらに自然へと向かうのです。大地が彼に差し出す財宝が何であれ、それが差し出されている限り、彼はそれを享受しようとするのです!彼はあらゆる労苦から遠く離れて、ゼメリングの自由な、希薄な空気の中にわが住処を手に入れようとしています。この空気、この至純の大地の空気を、いよいよ深まる呼吸をもって満喫するために。―いよいよ深まる呼吸を持ってです。こうしてあの心臓、かつて人間の胸の中で鼓動したもっとも貴重な心臓は伸び広がり―ますます大きく伸び広がり―そしていまここでその鼓動をとめなければならないのです。」
(ベルク:妻ヘレーネ宛の手紙《酒田健一 訳》


「シェーンベルクはかつて、私に次のようなことを話してくれた。愛のあり方として、文学に描かれたような情熱、つまり静かでとりわけ優しく、愛らしい関係以外にも、ひょっとしたら全く異なった種類の愛が存在しているかもしれないのだ、と。愛のあり方を、僕はただそういうものとしてしか感じていなかった。他のあり方など思っても見なかった。だが、他の愛があるんだ。悲しい愛が。ベルク君、これを言い表すことはできないだろう。だがここにはどっこいそれがあるんだ。ここに、つまりマーラーの作品にはね。この音楽のこの優しさを思いたまえ。消滅に、死に捧げられた音楽だ。ああ、ベルク君。これについてはもう何も言えないよ。一体これを聴くことが許されるのか、としばしば考えるんだ。われわれはそれに値するのか?しかし、われわれがそれに値するように努める目標はあるんだ、心の中へと手をいれて、汚物をひきずりだし、より高いところへ登るのだ。「心を挙げて主を仰げ<スルスム・コルダ>」とキリスト教は言う。かくマーラーは生きた、かくシェーンベルクも」
(ヴェーベルン:1911年11月23日付、ベルク宛の手紙《村井翔訳》)


「「世界とはいくらのものか」と、マーラーは第七交響曲の終楽章を説明したということだが、それに対して第九のブルレスケは「何もない」と答えている」
(アドルノ:「マーラー」 p.210《龍村あや子訳》)


「永遠[エオーネン]の時を越えてと言わんばかりに、第二交響曲の<原光>から取られた「天国にいる」という箇所が、冒頭で再現される。しかし、年をとって経験で満たされ、そしてまたそこからも遠ざかるかのように、この楽章は過去を振り返る。それは別れを告げた想い出の音楽なのである。」
(アドルノ:「マーラー」 第4楽章について p.212《龍村あや子訳》)


10番に関する言葉

「君はわたしにとってつねに光であり中心点なのだ!もちろん、それは全てのものの上に輝く内面の光だ。そして、このことを自覚した幸福感は…わたしのあらゆる感情を無限に高めてくれる。それなのにきみがもはやそれにこたえらえなくなったとは、なんとつらく悲しいことだろう」
(マーラー:1910年アルマへの手紙《酒田健一訳》)

「死! 変容!」、「憐れみ給え! おお神よ! なぜあなたは私を見捨てられたのですか?」、「御心が行われますように!」
(マーラー:第10番第3楽章スケッチの書き込み)


「悪魔が私と踊る、狂気が私にとりつく、呪われたる者よ! 私を滅ぼせ、生きていることを忘れさせてくれ! 生を終わらせてくれ、私が……」
(マーラー:第10番第4楽章スケッチの書き込み)


完全に布で覆われた太鼓、これが何を意味するか、知っているのは君だけだ! ああ! ああ! ああ! さようなら、私の竪琴! さようなら、さようなら、さようなら、ああ、ああ、ああ」
(マーラー:第10番第4楽章スケッチの書き込み)


「セントラルパーク沿いの大通りが騒がしい。窓から乗り出してみると、下は黒山のような人だかりがしている。葬式だった―行列が近づいてくる。そういえば新聞に、消防士が一人火事で殉職したという記事が出ていた。(中略)挨拶の後ちょっと間をおいてから、おおいをかぶせた太鼓が一つ鳴った。あたりは水を打ったように静まり返る。やがて行列は動き出し、式は終わった。この風変わりな葬儀を見ているうちに、わたしの目には涙が溢れてきた。おそるおそるマーラーの部屋の窓のほうをうかがうと、彼も身を乗り出していて、その顔は泣きぬれていた。このときの光景は彼によほど深い感銘を与えたと見えて、のちに彼はあの短い太鼓の響きを第10交響曲のなかで使っている。」
(アルマ:「回想」《酒田健一 訳》)


君のために生き! 君のために死ぬ! アルムシ!
(マーラー:第10番第5楽章スケッチの書き込み)


「ベートーヴェンの場合と同様、そのスケッチが残されている彼の第10交響曲が語ろうとしたものを、われわれはベートーヴェンやブルックナーの場合と同様に知ることは無いでしょう。第九交響曲はひとつの限界であるように思われます。そこを超えようとするものは、死ぬほかはないのです。」
(シェーンベルク:マーラーの追悼講演にて《酒田健一 訳》)


「この作曲家に対する私の敬愛にも関わらず、こうした大変な仕事はお引き受けできません。それには作曲者の精神世界や、その作曲上の、全く個人的な様式に深く入り込むことが必要です。私にはそれは不可能なのです」
(ショスタコーヴィチ:マーラー10番の復元を依頼されて)


「最初の、おおよその見通しはかなり落胆させるようなものだったが、ともかくファクシミリを清書してみた。驚いたことに私は、シュペヒトやその他の人々が私以前に確認していたとおりのことを、つまり―マーラー自身が呼んだとおり―<スケッチとしてはすっかり完成した仕事>を見出した。(中略)パルティチェルは明らかにオーケストラ的に発想されていたので、ふさわしい考え出す必要も無いほどだった。マーラーが思い浮かべたオーケストラの色彩を感じればよかったのだ。」
(クック:マーラー10番の復元に際して《村井翔訳》)



作品に関する言葉

「柔らかい沈んだ調子の音を出そうと思う時、私はそういう音を容易に出せるような楽器ではなく、一生懸命無理して(しばしば無理にその楽器の自然の音域を越えることによって)やっとその音が出せるような楽器にそれをわりふることにしています。コントラバスやファゴットに軋むような最高音を出させたり、フルートに息も絶え絶えになるようなえらい低音を吹かせたりということを私はよくやります」
(マーラー)



「ある表題(プログラム)のために音楽をつくることは愚かなことと思っていますが、同様に、ある音楽作品に、一つの表題をあたえようとするのは不十分で 不毛のことだと私は思っています。ある音楽的形象に対するきっかけとなるものが、作者の体験であり、したがって、言葉で表すことができるほどにいつでも具体的なものである事実も、それを変えるものではありません。……だから、私の曲の作り方がまだ異様に思われるはじめのうちは、聴き手が旅行中にいくつかの 地図や里程標を身につけていることはよいことです。……だが、説明はそれ以上のものは提供してくれません。人間は、何か知っているものに関係をもたねばなりません。さもないと道に迷ってしまいます……」
(マーラー:1896年3月26日 マックス・マルシャルク宛の手紙で)


「深刻な悲劇性と、軽薄卑俗な娯楽性とが私の心の中で結びつき、前者の想起はかならず不可避的に、後者を呼び覚ます。」
(マーラー)


「マーラーによると、たいへんに痛ましい出来事と低級な慰みごとのこの突然の結びつきは、このとき以来、彼の心に最後まで音を下ろすことになったし、またこれらの気分のおのおのが、将来、代わることの無い形で、もう一つの気分を惹起することとなった。」
(フロイト、アーネスト・ジョーンズの引用による)


「私の見るところでは、マーラーが作曲家としてなしとげた貢献のうちで、最も独創的なことは、行進曲、舞曲、民謡といったものの民族性を取り去るような変形を施したということである。それを達成するために、彼はこれらのものをその伝統的な和声やリズムのコンテクストから解き放ち、それらを全く違った音楽と並べ置くことによって、ポピュラーな音楽形式がお馴染みではないものと化し、その結果ローカルな地域的・民族的要素をすべて払拭するという効果が発揮される。」
(ヘンリー・A・リー:「異邦人マーラー」(渡辺裕訳)より)



「マーラーのオーケストレーションでまず目を引くにちがいないのは、ともかくも必要なことだけを書きつけるという、ほかに例を見ないほどの即物主義です。マーラーの音楽の響きは、装飾のために付け加えられたもの、ただ装飾のために上乗せされた付属物から生み出されているのではまったくないのです。ざわざわと響くところではテーマがざわざわと響いているのであり、そしてそのテーマには、ふさわしい形態と音譜が備わっていて、その箇所で問題なのはざわざわと響くことではなく形式と内容なのだということがすぐにも明らかとなります。呻吟するところでは、テーマと和音とが呻吟し、めりめりと音を立てるところでは、巨大な建築物が互いに激しくぶつかり合い、建築物はめりめりと音を立てて崩壊する。建築上の緊張関係、圧力関係が反乱を起こすのです。だが最も美しいもののひとつは、優しくかぐわしい響きです…。」
(シェーンベルク:1913年プラハ公演にて)



「私たちが交響曲の本質について話すことになったとき、私は自分が彼の様式の厳格さ、それにもろもろの動機のあいだに内的な統一を作り出している深い論理を敬服していると話した。これが、私が作曲しながら到達した結果なのであった。マーラーの意見はまさに正反対のものだった。『いや、交響曲は世界のようなものでなければなりません。それはすべてを抱擁せねばなりません!』」
(シベリウス:1935年に語った言葉)


「《交響曲》という言葉は、私にとっては、自分の思い通りになるあらゆる技法上の手段によって、一つの世界を築くことを意味しています!」
(マーラー:1895年、ナターリエ・バウアー=レヒナーへ語った言葉)



「われわれは、ベートーヴェンを粗野であると同時に男女両性をそなえていると考えられようか?ドビュッシーを絶妙であると同時にけばけばしいと考えられようか?モーツァルトを洗練されていると同時に生硬だと考えられようか?ストラヴィンスキーを客観的だと同時に感傷的だと考えられようか?まったく考えられないことだ。しかし、マーラーは、ユニークにも次のような要素をすべて包含している――粗野であると同時に男女両性的、絶妙とけばけばしさ、洗練され、生硬であり、客観的で、感傷的であり、向こう見ずで、内気で、壮大で、自滅的であり、確信を持ち、不安定で、修飾的かつ対立的。」
(バーンスタイン 《三浦淳史 訳》)



「自由を求めて叫ぶためには牢獄を必要とする者がいるように、マーラーには形式が必要だったのです。マーラーの場合、形式は内容と常にむじゅんしているとおもいます。第六交響曲の第一楽章が、私の主張に対する最も良い例です。つまり、いささかたりとも古典的とは呼びえないような、それどころか極めて個人的な内容が、ソナタ楽章の厳格な形式の中に押し込まれているのです。形式とは過去の廃物なのです。」
(シノーポリ)



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